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東京地方裁判所 昭和49年(行ウ)7号 判決

原告 株式会社吉田鉄工所

右代表者代表取締役 吉田一夫

右訴訟代理人弁護士 竹林節治

同 畑守人

右訴訟復代理人弁護士 石川正

被告 中央労働委員会

右代表者会長 平田冨太郎

右指定代理人 雄川一郎

〈ほか三名〉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

(一)  原告を再審査申立人、全大阪金属産業労働組合を再審査被申立人とする中労委昭和四七年(不再)第八八号事件につき、被告が昭和四八年一二月一九日付でした別紙命令書記載の命令を取り消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二請求原因

一  本件命令

訴外全大阪金属産業労働組合は大阪府地方労働委員会に対し、原告を被申立人として不当労働行為救済の申立をしたところ、同委員会は昭和四七年一〇月三〇日付で、被申立人に対し次の命令(以下「初審命令」という。)を発した。

(一)  被申立人は、昭和四六年度賃上げおよび同年度夏期一時金の考課査定部分について、「精勤度」を除き、申立人組合の下記吉田鉄工所分会員(以下「本件分会員」という。)の査定得点を少くとも被申立人会社の全従業員(ただし下記分会員および課長以上の役職者を除く)の平均得点まで引き上げて、昭和四六年度賃上げ額および同年度夏期一時金額を是正し、支払済みの金額との差額を支払わなければならない。ただし、昭和四六年度賃上げ額の差額の支払いは、無川勝次、小割誠、および藤田憲吾については、昭和四七年三月二一日までとする。

無川勝次、永瀬正成、前田猛夫、谷川元 藤田憲吾、中居利司、小割誠、佐和宗義、山中兼一、森脇司朗

(二)  被申立人は、縦一メートル、横二メートルの白色木板に下記のとおり明瞭に墨書して、被申立人会社本社工場正門付近の従業員の見やすい場所に一週間掲示しなければならない。

年 月 日

全大阪金属産業労働組合

執行委員長 池田一志殿

同労働組合吉田鉄工所分会

分会長 塚本治殿

株式会社吉田鉄工所

代表取締役 吉田一夫

当社は、昭和四六年度賃上げおよび同年度夏期一時金の支給に関して、貴組合の弱体化をはかるため、貴組合員を不当に低く考課査定しました。

このようなことは、労働組合法第七条第一号および第三号に該当する不当労働行為であることを認め、陳謝するとともに、今後このような行為を繰返さないことを誓約いたします。

以上、大阪府地方労働委員会の命令により掲示します。

原告は、初審命令を不服として、被告に対し再審査の申立をしたところ、被告は昭和四八年一二月一九日付で別紙命令書記載のとおり、右再審査申立を棄却する旨の命令(以下「本件命令」という。)を発し、この命令書写は同月二七日原告に交付された。(以下、当事者等の表示は命令書理由第1・1当事者欄に記載されている略称による。)

二  本件命令の違法性

本件命令は、原告が本件分会員に対し、昭和四六年度賃上げおよび同年度夏期一時金の考課査定部分について低く査定したことをもって不当労働行為であるとした初審命令の判断を相当であるとしているが、これは事実の認定および法令の適用を誤ったものであって違法である。また、本件命令は、分会公然化前に分会員も平均に査定されていたという前提のもとに、全従業員の平均得点まで分会員の査定点のひきあげを命じた初審命令を正当としているが、分会公然化前は、平均以上に査定された分会員もいれば、平均以下、特に全従業員の最低の評価を受けていた分会員も現に存在していたのであるから、この様な救済方法は、会社の査定制度の根幹を揺がすものであって違法である。よって、本件命令の取消しを求める。

≪以下事実省略≫

理由

一  本件命令

請求原因第一項の事実と、第二項の事実中、本件命令が、原告が本件分会員に対し昭和四六年度賃上げおよび同年度夏期一時金の考課査定部分について低く査定したことをもって不当労働行為であるとした初審命令の判断を相当であるとしていることは、当事者間に争いがない。

二  当事者

命令書理由第1、1記載事実は当事者間に争いがない。

三  分会公然化前後の事情

当事者間に争いのない事実と≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和四二年三月会社の従業員数名は、組合に加入し、分会を結成したが、会社には分会結成を秘して非公然に、分会員の獲得、労働運動の学習をするほか、会社の全従業員が加入する親睦会である睦会を通じて労働条件改善要求を行なう等の活動を続けていた。昭和四四年八月一四日になって、吉田労組が結成されることになり、これを知った分会も同日分会を公然化することに決定し、会社にその存在を通告した。分会員の数は、公然化当時約二〇〇名であったが、昭和四四年九月末ごろまでに大半の者が脱退し、その後も漸減して昭和四八年六月の本件再審査結審時には一六名であった。

(二)  吉田労組は、その結成の当初から、分会は共産党の一組織にすぎないから、正しい査定で分会員を追放するということを運動方針として掲げ、分会ときびしく対立してきた。

四  賃金紛争の従来の経過

当事者間に争いのない事実と≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

(一)  会社は、昭和四四年八月一四日の分会公然化以前から、賃上げや一時金の支給に際しては考課査定を実施して個人別に支給額を決定してきたが、その査定項目は「勤務成績」および「技術」の二項目で、四五点満点であった。「勤務成績」は二〇点を占めていたが、その内容は「精勤度」が大部分で、一部「執務態度」が含まれていた。「精勤度」は欠勤、遅刻、早退の回数からタイム・カードによって自動的に算出され、「執務態度」は特に悪い場合に減点されていた。残る二五点を占める「技術」については、出勤状況等の悪いときに減点する取扱いであった。したがって、欠勤等タイム・カードによって自動的に算出される部分が相当大きい割合を占めていた。

(二)  査定権者は、第一次査定者として班長がこれに当たり、ついで課長、部長が査定していたが、班長の査定結果はきわめて重視されていた。

(三)  分会公然化直前の昭和四四年度夏期一時金の査定は前記査定方法により行なわれたが、本件分会員の査定結果は、全従業員の平均査定額五一、九九八円を一〇〇%とすると、無川勝次一二三%、永瀬正成一〇三%、前田猛夫一〇六%、谷川元八五%、藤田憲吾九七%、中居利司九九%、小割誠九三%、佐和宗義一〇〇%、山中兼一八一%、森脇司朗一〇〇%であり、分会員の平均は一〇〇・一%であった。

(四)  前記査定方法による査定の結果は、大半の従業員が平均付近に位置して上下の幅がない傾向を示していたが、これは、右方法では「精勤度」の如何により査定の大半が決定されるところ、会社の従業員の出勤状況は良好であったからである。

(五)  分会公然化後の昭和四四年度年末一時金の考課査定において、会社は、従来の二項目による前記査定方法では点数の差がなく悪平等の結果となっていること、吉田労組から要望があったことを理由に、これを改め、「生産貢献度」(一五点)、「作業専念度」(一〇点)、「協調度」(一〇点)、「人物品位」(一〇点)、「精勤度」(五点)の五項目五〇点満点による査定方法を採用した。「精勤度」は欠勤、遅刻、早退の回数によってタイム・カードから自動的に算出される(欠勤等の場合は「勤怠取扱基準」に従い減点された。)が、その比重は一〇%と従来に比べて著しく低くなった。「生産貢献度」とは単位期間内に生産に対し貢献した度合をいい、仕事の質、量が問題となる。「作業専念度」とは作業の密度をいい、職場離脱の有無、仕事中の私語などが問題となる。「協調度」とは上司、同僚との協調状況をいい、仕事中に会社の規律、上司の命令に従ったか等が問題となる。「人物品位」とは会社の従業員としての自覚をいい、従業員の仕事上の熱意、誠意、責任感、会社の体面の保持などが問題となる。そして、「精勤度」を除いた以上の四項目は、査定者の日常の観察によって査定されることになった。会社は、右の五項目の査定方法を実施するに際し、説明会を通じて査定者に対し、右の各項目の趣旨を説明し、また個々の査定者からの質問にはその都度答えた。

(六)  右の五項目五〇点満点方式の査定方法により(査定者は、第一次班長、第二次課長、第三次部長であり、部長が最終査定者となる。)昭和四四年度年末一時金が支給されたところ、これが平均一五〇、〇〇〇円のうち四五%にあたる六七、五〇〇円が考課査定分であった。同年一二月の定期昇給は、右年末一時金の考課点数が適用された。本件分会員の査定結果は次のとおりであった。(全従業員の平均は三一・二一点であった。)

査定項目

精勤度

(5)

生産

貢献度

(15)

作業

専念度

(10)

協調度

(10)

人物

品位

(10)

合計

(50)

本件分会員名

無川勝次

5

3

2

2

2

14

永瀬正成

5

3

2

1

1

12

前田猛夫

4

1

1

1

0

7

谷川元

4

1

1

1

0

7

藤田憲吾

4

2

1

0

0

7

中居利司

5

2

1

1

1

10

小割誠

5

1

1

1

0

8

佐和宗義

5

2

1

1

0

9

山中兼一

5

1

1

1

0

8

森脇司朗

5

1

1

1

0

8

また、分会員の査定点数の平均は全従業員平均の四分の一程度であった。昭和四五年度賃上げ、同年度夏期一時金については、査定方法をめぐり会社と分会が対立したために妥結していない。同年度年末一時金については査定支給されたが、吉田労組員の査定点数は平均三一・八点、分会員のそれは平均一三・一点であった。本件分会員の査定点数は次のとおりであった。

査定項目

精勤度

(5)

生産

貢献度

(15)

作業

専念度

(10)

協調度

(10)

人物

品位

(10)

合計

(50)

本件分会員名

無川勝次

5

7

6

5

2

25

永瀬正成

4

5

4

5

4

22

前田猛夫

4

2

2

1

1

10

谷川元

5

2

1

1

1

10

藤田憲吾

1

2

1

1

1

6

中居利司

5

4

4

3

2

18

小割誠

3

3

2

3

3

14

佐和宗義

4

3

2

3

2

14

山中兼一

5

1

1

1

1

9

森脇司朗

3

2

4

3

1

13

五  昭和四六年度賃上げの経過

当事者間に争いのない事実と≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(一)  昭和四六年度賃上げについては、同年五月一五日に会社と分会の間で、係長以下従業員一人平均一一、五〇〇円(一律分一〇%、成績比分四〇%、基本給比分三五%、年令年功是正分一五%)の賃上げが四月にさかのぼって実施されることで妥結した。成績比分四〇%(平均四、六〇〇円)に関する考課査定は、前記五項目五〇点満点の査定方法によって行なわれたが、その査定期間は昭和四五年三月一六日から同四六年三月一五日までの一年間であった。分会は、昭和四六年五月一二日の団体交渉の席上で会社に対し、公平な査定をするよう要求したが、会社はこれに対し、会社は従来も公平な査定をしてきたし、今後も公平に査定をすると答えた。

(二)  この考課査定における一点の単価は一五一円余である(会社では従来より査定点数の一点の単価を査定得点に乗じて査定部分の金額を算出する制度をとっていた。)が、この時の全従業員平均の成績比分の金額が四、六〇〇円であるから、全従業員の査定点数の平均は三〇・五点となる。分会員の査定点数の平均は一二・二点であるので、分会員は全従業員の査定点数の平均の約四〇%の査定点数しか与えられなかった。さらに、分会員の査定点数は、全従業員の査定点数の平均よりもすべて下まわっている。本件分会員の査定点数は、命令書理由第1、4、(6)「第一表」(命令書八ページ)のとおりであった。

(三)  昭和四六年度賃上げにおいて、各分会員に対する第一次査定者である班長はすべて吉田労組の組合員であり、その査定結果はきわめて重視されていた。

六  昭和四六年度夏期一時金の経過

当事者間に争いのない事実と≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。

(一)  昭和四六年度夏期一時金について、同年七月九日に会社と分会との間で、従業員一人平均一七〇、六〇〇円(一律分一五%、成績比分四〇%、基本給比分二五%、年功比分二〇%)ということで妥結した。分会は、右妥結に際し、査定については分会員も納得のいく査定が行なわれるべきであると主張し、会社はこれに対し、従来どおり今後とも公正に査定すると答えた。会社は、昭和四六年度夏期一時金の査定に際し、考課査定に関する新評価基準を作成しこれを同一時金の査定から採用することとし、会社の掲示板に右新評価基準を掲示した。(新評価基準の内容は命令書理由第1、5、(3)「成績評価基準書」((命令書九ないし一一ページ))のとおりである。)これによると、「業績(成果)」(五〇点)、「執務態度」(三〇点)、「能力」(一〇点)、「精勤度」(一〇点)の合計一〇〇点満点となっている。また、勤怠取扱基準に基づいて自動的に算出される精勤度の割合は一〇%を占めていた。会社は新評価基準の適用について、昭和四六年度夏期一時金の査定を行なう前に、班長(一部に伍長も含む。)以上を集めた席上で説明を行なったところ、その際、今回の査定方法の変更は、従来の査定項目により客観性を持たせて、仕事中心に評価するためなされたものであると説明した。

(二)  右の四項目一〇〇点満点方式の査定方法により(査定者は、第一次班長、第二次係長、第三次課長、第四次部長であり、部長が最終査定者となる。)、右夏期一時金の成績比分を査定したが(査定期間は同年五月一五日からさかのぼって六か月間である。)、この考課査定における一点の単価は一、〇八八円であった。全従業員の成績比分の平均額は六八、二四〇円なので、全従業員の査定点数の平均は六二・七点となる。分会員の査定点数の平均は二五・六点であるから、分会員の査定点数の平均は、全従業員の査定点数の平均の約四一%である。また、各分会員の査定点数は、全従業員の査定点数の平均をすべて下まわっていた。分会員の査定点数は、命令書理由第1、5、(5)「第二表」(命令書一二ページ)記載のとおりであった。

(三)  昭和四六年度夏期一時金の支給においても、各分会員に対する第一次査定者である班長はすべて吉田労組の組合員であり、その査定結果がきわめて重視されたことは、従来と同様である。

七  不当労働行為の成否

一般に企業において、定期昇給や一時金の支給に当り、その一定部分を使用者側の考課査定に基づいて個別的に決定するとされている場合、考課の方式、考課要素の選択、考課要素間のウエイトのつけ方が使用者の専決事項となっておれば、考課による査定は使用者側の一方的な裁量に委ねざるをえない。しかし、査定結果が、ある従業員にとって、他の従業員との対比において著しく低く位置づけられ、それが、使用者と当該従業員の所属する組合との労使関係、従来の査定結果との比較、他の組合が存在するときはそれとの関係等諸般の状況からして、ある労働組合所属組合員であることの故もしくは組合活動をしたことの故のものであるとか、ある労働組合の運営への支配介入を企図したものであるとみることができる特段の事情の認められるような場合には、不当労働行為を構成するものと解される。

そこで、以上の見地に立って本件について検討する。

(一)  前記認定した事実によれば、①分会員らは、分会公然化前である昭和四四年度夏期一時金の考課査定では、「勤務成績」および「技術」の二項目四五点満点(この査定方法は勤務成績である精勤度によって大半の得点が客観的に算出できる。)の査定方法の適用の結果全従業員の平均点近くの査定をうけていたが、分会公然化直後の昭和四四年度年末一時金の考課査定においては、五項目五〇点満点(タイム・カードから客観的に算出できる精勤度のウエイトが一〇%になり、査定者の主観的判断に依存するしかない項目が大幅に増加した。)の査定方法の適用の結果、全従業員の査定点数の平均三一・二一点に対して分会員の査定点数の平均は八・二八点となり、同様の査定方法の適用の結果、同四五年度賃上げの考課査定においては、吉田労組員の査定点数の平均三一・八点に対して分会員の査定点数の平均は一三・一点となり、同四六年度賃上げの考課査定においては、全従業員の査定点数の平均三〇・五点に対して分会員の査定点数の平均は一二・二点となり、同年夏期一時金の考課査定においては、四項目一〇〇点満点(新評価基準の精勤度の割合は一〇%であり、他の項目は査定者の主観的判断に依存せざるを得ない。)の査定方法の適用の結果、全従業員の査定点数の平均六二・七点に対して分会員の査定点数の平均は二五・六点となっており、以上から明らかなように、査定方法に変更があったとしても、分会公然化を契機として急激に分会員の査定点数の平均が全従業員の査定点数の平均を大きく下まわるようになったこと、②五項目五〇点満点と四項目一〇〇点満点のいずれの査定方法においても、その査定項目をみると、タイム・カードから客観的に算出できる「精勤度」を除いて、所詮は査定者の主観的な判断によらざるを得ない項目ばかりであり、しかもその割合が全体の九〇%に及んでいること、③査定の方法は、三又は四段階の直属上司による複数の査定者によりなされるが、第一次査定者である班長の査定点数が一貫してきわめて重視されたところ、第一次査定者である班長は、査定を通じて分会員を追放することを発足の当初以来の運動方針に掲げ、分会ときびしく対立する吉田労組の組合員であること、④査定は点数制でしかも一点の単価が決まっているため、査定結果が直ちに具体的な金額となって現われ、査定の如何によっては分会を攻撃する強力な手段となる可能性があること、⑤五項目五〇点満点と四項目一〇〇点満点の両査定方法のうち「精勤度」を除いた査定項目が、所詮は査定者の主観的判断によらざるを得ないものであることは、前述したとおりである。ところで、当事者間に争いのない事実によれば、会社には、「作業伝票」(「作業標準カード」を根拠にして、各作業者の達成した仕事の質および量による業績が記載されている。)とか「奨励時間」(仕事の難易度を加味し、一つの作業工程を消化した場合に奨励給が与えられる。)の制度があり、成程原告の主張するように、これらは本来考課査定の資料として考案されたものではないかも知れないが、そうだとしても各従業員の作業実績を客観的に示す資料として、査定者が査定をするに当って充分参考にできると考えられるにもかかわらず、これを利用することなく、専ら日常の観察によって査定していること、⑥本件全証拠によっても、本件各分会員の勤務状況について、前記五の(二)、六の(二)に判示したような査定の根拠となるに足りるような具体的事実は認められないこと、以上①から⑥までを総合して考えると、会社は昭和四六年度賃上げおよび同年度夏期一時金の査定において(「精勤度」を除く。)、分会所属の組合員を分会所属の故にあるいはその組合活動の故に差別し、同時に、これによって分会所属の組合員を動揺、混乱させて分会の弱体化を企図したものと推認せざるを得ない。したがって、これは労働組合法第七条第一号および第三号の不当労働行為を構成することになる。

(二)  もっとも、会社は、昭和四六年度賃上げおよび同年度夏期一時金の査定において本件各分会員の査定結果が低いのは、査定期間中における各分会員の勤務状況が悪かったためであって合理的理由があり不当労働行為に当らないと主張しているので、以下これについて検討してみる。

≪証拠省略≫によれば、分会員藤田憲吾は、昭和四五年四月から同四六年三月までの一年間において、欠勤一七日、無断欠勤二六日、遅刻・早退二三回、同四五年一二月から同四六年五月までの半年間において、欠勤一一日、無届欠勤三日、遅刻・早退九回の出勤状況であることおよび上司が藤田に対して遅刻等について再三の注意をしていたことが認められ、また、≪証拠省略≫によれば、分会員谷川元は、昭和四五年から四六年にかけて、ボール盤による穴あけ作業に従事していたが、同四五年一二月ごろ、九四〇型ボール盤の部品である七三〇プラケットの穴あけ作業中に、一四〇個中一〇〇個の不良品を出し、会社の懲罰委員会にかけられたうえ始末書の提出を命ぜられたことが認められるけれども、右事実をもって、直ちに、右各分会員についての前記査定結果に正当な理由があるものとは思料されない。さらに≪証拠省略≫には、無川勝次の勤務ぶりについて、高令であるため同人の作業の質、量が年々落ちていたとの記載が、≪証拠省略≫には、永瀬正成の勤務状況につき、仕事が遅く、わき見、私語が多く協調性に欠けるとの記載が、≪証拠省略≫には、前田猛夫の勤務状況につき、仕事が遅く、班長の指示に従わず反抗的であるとの記載が、≪証拠省略≫には、谷川元の勤務状況につき、仕事の正確性、質が落ちるとの記載・供述が、≪証拠省略≫には、藤田憲吾の勤務状況につき、仕事中の私語、職場離脱が多いとの記載が、≪証拠省略≫には、中居利司の勤務状況につき、班長に反抗的で、仕事の質と量が不十分であるとの記載・供述が、≪証拠省略≫には、小割誠の勤務状況につき、生産があがらず、仕事中のわき見、欠勤が多いとの記載が、≪証拠省略≫には、佐和宗義の勤務状況につき、反抗的で仕事が十分にできないとの記載が、≪証拠省略≫には、山中兼一の勤務状況につき、全般的に能力がなく初歩的な仕事しか与えられないとの記載・供述が、≪証拠省略≫には、森脇司朗の勤務状況につき、反抗的で職場離脱が多いとの記載・供述が、それぞれあるけれども、右記載・供述はいずれも抽象的に過ぎ具体的な根拠を欠き、的確な証拠ということはできず、他に会社の前記査定結果(「精勤度」を除く。)が合理的であることを認めるに足りる証拠はない。

八  本件差額を命ずることの適否

救済命令は、必要な事実上の措置を命ずることによって、労使間の関係を、できる限り当該不当労働行為がなかったのと同じ状態に回復させることを目的とするものであるが、いかなる場合にどのような内容の救済命令を発すべきかについては法令に特段の定めはない。したがって、救済命令の内容については、右目的の範囲内において労働委員会の裁量に委ねられているものと解される。本件においては、分会員は、分会公然化以前は、各人の具体的査定点数に多少の差はあったとしても、おおむね全従業員の平均程度に査定されていたのに、分会公然化後、「精勤度」を除いて分会員に対し低く査定したことが不当労働行為なのであるから、少くとも全従業員の平均得点まで本件分会員の査定点のひき上げを命じ、支払済み金額との差額の支払を命ずるのでなければ、本件不当労働行為の性質、内容からして救済の目的を達し得ないというべきである。したがって、本件命令が命ずるところは相当であって何ら違法なところはない。

九  結論

以上のとおりであって、本件昭和四六年度賃上げ、同年度夏期一時金の査定は、いずれも不当労働行為にあたるというべきであって、被告がこれと同一の判断のもとに本件命令を発したことは正当であり、右命令には、その処分内容上も違法な点が認められない。

よって、本件命令の取消しを求める原告の請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮崎啓一 裁判官 佐藤栄一 仙波英躬)

〈以下省略〉

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